マイナス・赤字の正体

僕のセミナーでは、よく「赤字」について話をする。それは多くの人が「赤字」についてきちんと理解をしておらず、「損」とか「失敗」程度にしか思っていないからだ。確かに赤字とは収支がマイナスになり損が出ることを指す。だがこの「マイナス」というのが曲者だ。「マイナス」とは数字の上での抽象概念であり、現実には「負の状態」など滅多に無い。例えば、現金勘定や銀行口座がマイナスになるなどあり得ない。財布や金庫に穴が開いてそこにお金が吸い込まれる状態になるはずがない。もしも最後の所持金が599円で600円のラーメンを食べてしまったら、その瞬間に1円の赤字が発生し、その人は無銭飲食で逮捕される。たとえ1円の不足でも社会はそれを赤字として許容せず、搾取という犯罪にしてしまう。

 

したがって、たとえ1円でもお金が不足すれば、会社はその瞬間に潰れてしまう。赤字になっても会社が潰れないのは、それを補てんするお金があるからだ。それが自分のお金なら資本と言い、他人のお金だと借金となる。例えば100円で仕入れたものを90円に値切られたら10円の損となるが、手元には90円が残っているので潰れない。だが、もしもクレジットカードで初めの仕入れをしていたら、決済期限までに不足の10円を調達し100円用意しなければならない。「赤字」とは単に「お金が足りない状態」を示すのではなく、「お金の不足を補てんするお金を調達し、さらにそれを返済する」という「相当面倒な必要性」を意味していることを知って欲しい。

 

昔「利益はいくらあればいいんでしょう?」というある経営者の問いに対し、松下幸之助氏が「利益は1円あればよろしい」と答えたと聞いたことがある。これは利益を上げることよりも赤字を作らないことを心掛けよという意味だと思うが、株主から見ればこれはけしからん話だ。会社の利益は株主のものだが、赤字は会社のものだ。上場会社が利益をすべて配当せず積み立てておくのは、将来赤字が出た時にも配当を実施するためであって、赤字を補てんするための資金ではない。だが考えてみれば、株主だって赤字が怖い。そうでなければ毎年すべての利益を配当すればいいはずだ。赤字に備えて配当を我慢していることは、利益よりも赤字対策を優先していることに他ならない。

 

しかし今の日本では、この教えとは逆の力が働いている。それは、無駄な利益を献上するより、赤字を利用して利益を溜め込んだ方が得策だという考え方だ。例えば事業を失敗して損をしても、それを挽回する努力はぜずに赤字を計上する。赤字を出せば、経営者は配当できない責任は免れないが、節税できるうえに損失を繰り越すことができ、翌年度の利益を減らすこともできる。たとえ十分な内部留保があっても平気な顔をして巨額な赤字を計上し、リストラする上場企業を見て憤りを感じるのはもっともだが、こうした損得勘定が十分に成り立っていることを忘れてはならない。

 

そしてこれは、財産の運用においてさらに顕著となる。財産には所有に対する税金(固定資産税など)と、収益に対する税金(法人税、所得税)があるが、前者は後者の収益から経費として差し引くことができる。そのため、高収益の上がる資産を持っていても、収益の無い資産をたくさん所有すれば、収益を減らして所得税を節税できることになる。収益の無い企業を高収益企業が買収して節税しながら事業再建をしたり、債務と債権を組み合わせて証券化(細分化)するような金融工学は、このからくりを活用したテクニックだ。しかし日本では、このからくりが資産の流動性を下げている。お金持ちはますますお金を貯めこみ、地主はますます土地を溜め込んでしまう。役に立たない土地を持つことが、「利益を減らしながら財産を増やす」という錬金術になりつつある。

 

先日「マイナス金利」とは、日銀が銀行に対し「せっかくお金を貸してやったのに、金利を稼ぐために日銀にお金を預けるのはやめてくれ」という意思表示でもあるというテレビの解説を聞いた。僕は呆れてしまったが、その気持ちもわかる気がする。使われない家、余った部屋、シャッターのしまった店舗、空いたままの事務所、放置された田畑や山林は、その負担に耐えられる人たちが持っている。「せっかくの収益で、土地を使わずに放置するなんてやめてくれ」と僕は言いたい。さもないと「土地放置税」のような「新たなマイナス」が登場するのも時間の問題かもしれない。そしてそれは「マイナス金利」同様に失敗するのだろう。「マイナス」から何かが生まれるとは、僕には到底思えない。