2.起業パートナー

あなたに苦労させるため

起業支援活動家だと名乗る僕だが、常々「起業は自分でやるべきこと」と言っている。

「自分でやるべきことを支援する」って、一見矛盾しているようにも思えるが、大事なことなので少し説明しておきたい。

 

僕が起業支援活動を始めるきっかけとなったのは、2005年に世田谷区の廃校プロジェクト「IID世田谷ものづくり学校」に参加したこと。

このプロジェクトは、廃校になった元区立池尻中学校の校舎を、民間企業が賃貸契約で借り受けて、大家である世田谷区に家賃を支払う形式だ。

通常、公共施設の管理業務を民間事業者に委託するところを、まったく逆の関係になる都内初の取り組みとして、注目の中2004年秋に開業した。

ところがこの企業の財務内容が急激に悪化して、年末にはスポンサー企業が再建に乗り込んできた。

残念ながら、株式公開を目指す新経営陣は、このプロジェクトに関心を持たず、現場は厳しい合理化を求められ、地域社会との交流や貢献事業どころではなくなってしまった。

そこで僕の役割は、このプロジェクトが本来目指していた事業を展開するため、独立採算による分社化の実現だった。

 

建設会社の経営から、全く異分野の世界に飛び込んだ僕にとって、この事業の内容はちんぷんかんぷんだった。

でも、僕の役割は現場の士気を取り戻し、世田谷区や近隣社会との信頼関係を構築することだ。

プロジェクトの実務については、現場のスタッフや入居クリエイターたちが本来の力を発揮すればいいだけのこと。

そこで僕は、自ら「校長」と名乗り、自分用の新規のポジションを作り出して、現場に乗り込んだ。

案の定この作戦は見事に的中し、内外の方たちから「あんたが校長か、よろしく頼むよ」とすんなり受け入れられた。

こうして世田谷区と僕は、大家さんと店子としてのお付き合いが始まった。

 

当時世田谷区では、「産業振興」関連の事業を充実させるため、新たな公社の設立準備を進めていた。

そして「商店街の振興」、「雇用促進」などの従来事業に加え「起業・創業支援事業」の創出が求められていたが、その具体策を見いだせずに困っていた。

ある日、家賃の支払いを兼ねて区役所を訪ねると、担当部長から呼び止められ、「世田谷区がやるべき起業支援って何だと思う?」と尋ねられた。

そこで僕は、「役所が市民の商売を支援するって本末転倒だと思います。起業を商売に限定せず、市民のチャレンジ全ての相談に乗ったらどうですか?」と答えた。

意外にもこの提案はすぐさま取り入れられ、数度の打合せで実現することになってしまい、その上「その事業は松村さんがやるしかない」と言われたのには驚いた。

でも、もちろん僕は「そんなことやったことありませんけどお引き受けします」と二つ返事で快諾した。

すると部長も、「こんなこと、誰もやったことないからよろしくお願いします」とにっこり笑った。

 

僕はプロジェクトを「せたがやかやっく」と命名し、2006年の秋からスタートした。

かやっくとはカヌーのこと。

ボートのように後ろ向きで漕ぐのでなく、カヌーのように前を向き、景色を見ながら力を合わせて漕いで行こうと思いを込めた。

そしていよいよ初日、役所のフロアにたどり着くと、その脇に「創業相談」の窓口がある。

「あれ?、僕の他にも相談窓口があるなんて、どういうこと?」とけげんに思った。

早速窓口に行き、名刺を出して挨拶すると、相談員の方は「中小企業診断士」だった。

彼らは、区が行う創業融資の斡旋と利子補給の審査と指導を担当し、事業計画の作り方や申請書類の書き方などを指導していた。

この時僕は、全国にある創業相談窓口が何のためにあるのかを初めて理解した。

そして、いみじくも僕の提案した「商売に限定せずすべてのチャレンジを応援する」が、前例のないことだったのを改めて知ることになった。

 

こうして「すべてのチャレンジを支援する」取り組みは、区役所内部でも話題となり、区民だけでなく役所の職員からも相談を受けるようになった。

そりゃそうだ、区役所だってビジネスなんだから。

保健所からは、メタボ対策を区民に知ってもらうにはどうしたらいいか。

国際課からは、少ない予算で国際交流をするにはどうしたらいいか。

生涯現役課からは、区民のイベントにマスコミの取材を誘導するにはどうしたらよいか。

そんな課題に挑む人たちがやるべきことは何かを考えるのはホントに面白い。

そして、彼ら自身がそれに気づき自ら取り組むために、僕が何をすべきかを考え、やってみるのはもっと面白い。

でも、ほとんどすべて、長続きはしなかった。

残念ながら、役所とはそういうところだと僕は思った。

 

なぜ続かないのか、それは、誰も自分のこととしてやらないからだと僕は思う。

誰もが「仕事だから」やっているに過ぎないし、マンネリ化しないよう人事はぐるぐる変化する。

一方で、僕にとって「せたがやかやっく」単なるお仕事ではない。

相談に集まった区民起業家たちとNPO法人を作り、この事業そのものをこの法人で請け負った。

そして、全てのチャレンジがその面白さを競い合う「世界一ハードルの低いビジネスコンテスト」を開催した。

そこで知り合った多くのチャレンジャーたちが僕の人脈となり、そのネットワークは着実に広がっていった。

そんな事業も、ある時ぱったりと終了した。

だから僕は、もう二度と行政の仕事はしたくないと思った。

でも考えてみれば、ある日突然始まったのだから、突然終わってしまうのは当然だ。

誰かのためでなければ、誰かの思いや意思が無ければ、継続もなければ未来もあるはずがない。

 

だからもう、二度と人生の無駄遣いをしたくない。

僕が関わりたいのは、あなたが「自分自身でやること」だ。

それがあなたのチャレンジだから、僕にとってやる価値がある。

僕の仕事は、あなたがチャレンジしないで済むようにすることでなく、あなたが諦めないようにチャレンジのハードルを下げたり、付き合ってくれる仲間を募ることだ。

僕が今、土地所有者のチャレンジ支援に夢中になるのは、誰もそれをやろうとしないから。

さらに、何でもできる所有権を「チャレンジ権」と考えれば、チャレンジしない人が所有しても意味がないとさえ僕は思う。

あなたが楽をするためでなく、あなたに必要な苦労をさせるために、僕はあなたを手伝いたい。

どうかな?