早めのハンドル

Aさんの悩みは、仕事が来てしまうこと。

webサイトを見て問い合わせが来るのだから、それは意図したことであり、と言える。

ところが、がっかりするようなやりがいの無いオファーや、大企業相手の気疲れのする無駄な商談が増え、ちっとも自分の望む仕事が来ないとのこと。

そこで、せっかく来る仕事、どこか不本意な気持ちで取り組んだり、人任せの丸投げになってしまい、そうするとますます自分は楽になり、会社としても収益が上がってしまう。

こんな形で売り上げが伸び、事業が成長しても、いつかドスンと墜落し、取り返しのつかないことになるのではないかと心配だと。

僕はこの話を聞いて、モノは言い様、捉え方は人さまざま、でも、この説明の中にすべての課題が見え隠れするものだと感じた。

まず、問い合わせが増え、受注が増えていることが会社にとって「良いことなのか悪いことなのか」を自分で決めるべきだと僕は言った。

それは、判断というよりは、仮説を立てろという意味だ。

そして、「良いことだとしたら、今後どうするか」、「悪いことだとしたら、今後どうするか」を考えてみようと提案した。

しかしAさんは、「良いことだとは頭でわかっているが、体が悪いことと言っているような気がする」と言う。

「会社は儲かればいいのか、いい仕事をして評価されなければ意味がないのではないか、今その天秤で悩んでいるような気がする」という訳だ。

そこで「僕は自分で建設会社をやってた時、いい仕事をするのは苦情を減らし、悪評を防ぎ、次の仕事を受注するためだと考えていた」と話すと、Aさんは意外そうな顔をして「それはびっくりです」と目を丸めた。

「だから僕は、やめたんだけどね」と続け僕が言いたかったのは、それを天秤にせず、一連の話を考えたらどうかということだ。

「利益」と「評価」を比べずに、例えば「評価されるようないい仕事をするためにお金を儲ける」と「評価されるようないい仕事をするために利益は捨てる」を比べたらどうかと。

すると彼は、こんなことを言い出した。

「僕は家内と別居状態で、子供も別れ別れです。初めは心が張り裂けそうだったけど、次第に慣れてきて、今では比較的手のかからない上の子と暮らし、他の子とは時々会う状態で落ち着いています。でも、これが僕にとってはとても楽で、仕事もはかどります。家庭が適度に崩壊することで仕事がはかどるなんて、自分を恥じることがあります。」と。

僕はそれがAさんの導き出した答えなのだと思うから、恥ずべきこととは思わない。

同時にまた、利益と評価がどのような形で両立するのかは、Aさんならではの答えを探すことが最善の道だと思った。

しかし、仕事に対する取り組み方と、人生に対する取り組み方は、切り離して考えるべき別物でなく、一連のチャレンジだと考えるべきだと改めて感じた。

利益と評価、家族と仕事を一人の人間が成立させるには、たくさんの答えをうまく使い分けるのではなく、一つの答えをうまく応用することが必要なのかもしれない。

その答えを言葉で説明できたら、とは思うものの、そんなことは無理だし必要もない気がする。

例えていうなら、高速道路のハンドルさばきのようなもの。

周囲の車の位置を常に把握し、周辺の景色を楽しみながら道路標識や危険物に目を配り、微妙な勾配や車間距離に対応してブレーキやアクセルに触りつつ、ハンドルを微妙に押すイメージだ。

これらをすべて説明し、ルールを作って運転するなどナンセンスだ。

運転席に座ると同時に、車という機械の一部になり、周囲の光景の一部となる一体感をもち、行先というシンプルな目的に向かって旅をするのが人生だ。

そこで間違いないのは、急ハンドルは禁物だということ。

助手席の人が気づくようでは、管理乱暴な運転と言えるだろう。

だが、それを怠ったら最後、車はあっという間に車線をはみ出しクラッシュだ。

人生やビジネスに関する意見を求められるのは光栄だし、僕も自信をもってアドバイスしてはいるが、実際に運転席に座らなければそこからの景色を見ることはできない。

もちろん僕の目には、本人からは見えない多くのものが見えていて、それを知ることはとても大切なことだと思う。

だが、車はすでに走っていて、急ハンドルは命取りだ。

だから、現状を頭から否定せず、通過点だと思って肯定してほしい。

矛盾や憤りを感じるかもしれないが、現状は自然の成り行きであり、答えだと考えよう。

だが人生には、現状に服従する義務など無いし、大いに逆らうべきだと思う。

だからこそ、早めに行先を確認し、早めにハンドルを切りはじめよう。

Aさんに言いたかったのは、そんなことだった。