4.土地オーナー支援

なんとかシップ

広辞苑を調べていたら、【スポーツマンシップ:正々堂々と公明に争う、スポーツマンにふさわしい態度】という記載を見つけた。「・・・シップ」を、「・・・にふさわしい態度」とは、とても分かりやすい表現だ。フレンドシップ、メンバーシップ、チャンピオンシップ、リーダーシップ、そして「オーナーシップ」とは、まさに「オーナー(所有者)にふさわしい態度」のこと。義務や強制ではないが、自発的に行われるほど賞賛や尊敬に値する美徳に属する価値観だ。したがって、「スポーツマンシップに反する行為」と言われるものを思い浮かべてみると、審判の目を盗んで反則をするとか、試合の相手を侮辱するとか、どれもルール違反ではないがモラルや礼儀に反することを意味している。

「土地の放置や放棄」という問題は、まさに「オーナーシップに反する行為」だと僕は思う。土地の放置は認められているし、放棄は制度上できないはずなので、実態として放置や放棄が行われても、問題化することはない。昨年取り締まりが始まった空き家問題にしても、問題化したのは空き家が周辺社会に及ぼす「迷惑」であり、一部の悪質な空き家を「特定空き家」に認定して取り締まったに過ぎない。これに対し「空き家の有効活用」という対策も各地で活発化してきたが、これも「空き家が利用されていないこと」に対する対症療法的な取り組みに過ぎない。こんなことをしている間にも、土地の放置や放棄は増え続けており、空き家問題はその氷山の一角に過ぎない。

土地オーナーに与えられる所有権とは、「利用・収益・処分」の3権と言われるが、これらの権利を行使しない所有者が増えている。後継者がいないので使えなくなったとか、入居者がいないので収入が無くなったとか、買い手が見つからないので売ることができないとか、理由は様々あるだろう。だが、「土地オーナーたる者はそんなことは言い訳にならない」のがオーナーシップだと僕は思う。しかし、多くの土地所有者にはオーナーシップという自覚がない。だから、せっかくの所有権を行使できなくても簡単にあきらめる。そして周囲の人たちも、そんな所有者を他人事として放置している。つまり、所有者以外の人たちもまたオーナーシップを分っていない。

「なんとかシップ」とは、当事者だけでなく周囲の人たちもすべてが持つべき心がけだ。フェアなプレイを心掛けるプレイヤーだけでなく、それを見守る観客も一緒にフェアプレイを重んじなければスポーツマンシップは成立しない。それはリーダーシップやフレンドシップも同じことで、当事者ひとりで実現できることではない。僕は以前、シンガポールの道路には路上駐車が一台もいないのを見て愕然としたことがある。いくら取り締まりが厳しくても、1台も違反者がいないなんて僕には理解できなかった。だが、「シンガポール政府が路上駐車の無駄や危険を繰り返し国民に説明するうちに、国民がそれに賛同するようになった」という友人の説明を聞いて感激した。シンガポールでは、こうした「シンガポールシップ」的な話がたくさんある。小さな国だから、豊かな国だからとか、いろいろ言う人がいるけれど、僕は「誰もがその気になること」こそが世界を変える正攻法だと確信した。

「名栗の森オーナーシップクラブ」は、まさに「土地所有者らしさとは何か」を考えるプロジェクトだ。現在9組のメンバーが参加しているが、参加の動機も、目的も、仕事も趣味も見事にバラバラだ。唯一の共通点は、「名栗の森に関わりたい」という期待と好奇心の合わさったような感覚だ。でもこれこそが、「オーナーシップの芽」に僕は思える。今日の例会は、参加するはずだったやる気満々の林業者がドタキャンで来なくなり、どうなることかと気を揉んだが、顔をそろえたメンバーたちはそんなことは笑い飛ばし、現地で出会ったハンターを捕まえて、シカ狩り談議に盛り上がった。山林は決して林業だけのためにある訳ではない。そこには変化に富んだ自然があり、歩いて楽しい地形があり、クラフト心を誘う材料があり、美味しい空気や香りがあり、鳥や獣が潜んでいる。躯体的な利活用はまだ何も実現していないが、放置や放棄という問題とは、完全に無縁の森がすでに実現している。

土地の放置や放棄という問題は、その利活用の実現ではなく、オーナーシップの確立によって初めて解決すると僕は思う。「どうなることが解決か」という議論をせず、「やらないよりはましな対策」をいくら講じても、永久に解決しない。今やるべきことはその正反対だ。どうせやるなら、「永久に解決すること」に僕は挑みたい。