nanonilogo

先週は8月第5週ということで、笑恵館をお休みし、なのにサイトをリニューアルした。http://nanoni.co.jp/をご覧いただければそれでいいのだが、興味のある方はお付き合いのほどを。僕は1999年に経営していた会社が潰れてしまい、代表取締役としての個人債務が約30億円ほど残ってしまった。当時42歳だった僕にとって、倒産を人生の終わりにする訳にはいかなかったので、すぐさま新会社を立ち上げ、休む間もなく仕事をやり続けたが、この巨額の債務は僕個人が背負うことになった。当初は自分で作った新会社の平社員となり、その給与で暮らしていたが、次第に経営が安定してくると心の中に「何か新しいことをやりたい」という気持ちが芽生えてくる。ちょうどその頃「IID世田谷ものづくり学校の運営をやってくれないか」という依頼が舞い込んだ。僕はこの誘いに飛びついて、自分の会社を辞めてその友人の会社に転籍したが、この仕事のゴールは「IIDの経営を運営会社から自立させ、法人化すること」だった。「借財を抱える僕は、その法人の経営者にはならないほうがいい」と判断し、ついに自分の会社を作る決意をした。

新しい会社は、特にやることが決まっているわけでもなく、「僕と家族が暮らしていくための会社」なのだが、考えてみるとこんな会社は聞いたことがない。とはいえ定款の事業目的を「家族が生きるため」と書くわけにもいかない。当時「はてな」というブログ会社が好調で、子供にもわかりやすい社名が気になっていたのを思い出し、どうせ新しい会社を作るなら、新しいニーズに応えることをわかりやすく「必要なのに誰もやらないこと」と言い換えて、「なのに」という社名を考えた。家族の会社なのでかかあ殿下を社長にし、22と20歳の息子が取締役で僕が平社員という構成にし、さっそく「なのに」を提案すると、みんな賛成してくれてデザイン担当の長男がすぐに指でロゴマークをデザインした。ちなみにこの時、長男が提示した社名案は「ホイホイ商事」だったのが懐かしい。

創業当初は、僕に世田谷区や渋谷区の仕事の他、建設不動産系の起業コンサルなどが舞い込んで結構繁盛した。カミさんは今も続く建設会社の広報業務を担当し、長男はweb制作やデザイン、次男は経理関係と、本当に家族で働いた。家族全員で会議を兼ねて会食し、福利厚生費で遊びに行った。こうして僕とビジネスの関係は、「ワークとライフのバランス」でなく「ワークとライフの融合」という方向に向かっていった。やがて息子たちが自立、就職して行って、会社はカミさんと二人ぼっちになった。確かに賑やかではなくなったが、僕はさびしいと思ったことはない。夫婦という究極のパートナーは、そもそも自発的な意思で人生を分かち合う他人同士だからこそ強いと思う。他人はこれをのろけと言う(笑)。

僕がこれまで平社員であり続けたのは、簡単に言うと、借金取りがやってきて迷惑をかけるかもしれないと思ったからだ。だが実際には、誰も来ることはなくすべてが時効を迎えた。結果として僕は、30億近くの借金を踏み倒したことになるのだが、そもそも代表者の連帯保証など日本にしかない悪習だ。だから、金融機関に対してはあまり罪の意識はないが、彼らはそれを損金処分して、その分税金を逃れている。だから極端に言えば、30億の半分くらいはすでに節税され、国民の負担に回っている。だから僕は、日本中の人に10円ずつくらい借りがある。この意識は僕の中から消えることはなく、全国民に償いたいという思いが何かを駆り立てる。起業支援とか、地域活性化という仕事に本気で取り組む理由は、こんなところにあると思う。

だから僕は、行政に対しても、起業に対しても、事業や地域に成果が表れるまで継続することを求めたが、ことごとく裏切られてきた。行政も企業も目先の利益や成果にこだわるだけで、問題や課題の解決に本気で取り組もうとしてはいない。幾度となく「一からのやり直し」を繰り返すうち、次第に僕は「たとえ小さくても、実現するまでやり続けられるビジネスがしたい」と思うようになってきた。それは、夫婦と同じこと。「個人が自分の意志でやること」こそが、何かを成し遂げるのに一番確実なことだと思う。だから「なのに」は、進路を決めた個人のチャレンジを応援するし、コンセンサスに基づいてチャレンジする団体を応援する。事業内容が良いかどうかでなく、うまく行きそうかどうかでなく、儲かりそうかどうかでなく、本気でやるために僕の手助けを必要としているかどうかで判断する。

こうした方針が明確化するにつれ、行政や企業とのビジネスはやる気が失せてしまったが、その決め手になったのは僕自身の年齢だ。来年60歳を迎える僕は、もう若くはない。残り少ない僕の時間を、目先の儲けやその場しのぎのために使うのはもったいない。たとえ小さくても、長く継続したり、ゆっくりと成長し続けることに僕は貢献したい。その価値を図るのは、未来の人たちに委ねたい。僕が生きているうちに、その手ごたえや可能性を見たいとは思うけど、完成や実現はずっと先で構わない。僕にとっての「必要なのに誰もやらないこと」とは、自分の死後の未来に向けて行動することだが、本当は誰にだって「誰もやらないこと」を目指せるはず。

こんな思いをwebサイトで表現しようと、時々思い立って挑むのだがうまく行った試しがない。今回もまた、2日間でバタバタと直したので、辻褄が合わないところが気になるかもしれない。だが、やらないよりはずっといい。少なくとも、僕自身の頭の整理には、大いに役立ったことは断言できる。だからぜひ、あなたの意見を聞いてみたい。あなたの一言が、僕を変え、ほんの少し世界を変えるかもしれない。