死後の夢

「死後の夢」とは、自分が死んだ後に実現する夢のこと。

僕がこの概念を明確に意識しだしたのは、オーナーTさんとの出会いからだ。

笑恵館は、自宅の一部を開放し地域の人々や敷地内のアパートの住人達が自由に使えるスペースにするプロジェクトで、血縁の無い身近な人たちが緩やかな家族になる「笑恵館クラブ」というコミュニティを運営している。

「これを実現し、自分の死後も継続して欲しい」というTさんの願いを聞いた時、僕は心の底から「協力したい」と思った。

協力するその前提として、もちろん僕はこのプロジェクト自体に賛同している。

だが、心の底からそう思い、その実現のため自分の事務所も引き払い、真剣に取り組んでいるのは「死後の夢」を託されたからに他ならない。

笑恵館はもうすでに「僕自身の夢」となっているからだ。

そもそも「死後の夢」とは、その対義語である「生前の夢」との違いを考えれば解りやすい。

生前の夢はその実現を本人が確認する。

そして、多くの場合それは本人にしか確認できない。

なぜなら、夢を他人が確認できるほど明確に説明することはとても難しいことだから。

ひょっとすると、夢を叶えられない人の多くは「夢が無い」のではなく、「実現が難しい」のでもなく、「その説明ができない」でいるのかも知れない。

一方「死後の夢」はその実現や確認をしようにもその時すでに自分は死んでいるので、すべてを誰かに託さなければならない。

たとえ生前に何かを成し遂げたとしても、その人の死後あっという間に元の木阿弥になってしまうことはよくあることだ。

「死後の夢」をきちんと描き、それを後進に引き継がなければ、夢が実現したかどうかでさえ、本人のみが知ることとなってしまう。

ところが「死後の夢」を託したくても、その相手がいなければ託せない。

会社の経営なら後継者がこれに該当するのだが、納得のいく後継者を育てるのは難しい。

ソフトバンクもユニクロも世代交代はできていない。

孫正義や柳井正ほどの人物ですら、一人も後継者を作れずにいる。

また、個人の財産なら相続人に託すしかない。

中小企業や個人事業も財産だと考えると、これらを託すべきは家族のはずだ。

「世界の創業200年以上の長寿企業」の半数以上が日本にあるといわれるが、その多くは家族経営だ。

今朝テレビのイタリア紀行番組に出てきた伝統食品や工芸品を作る人たちも、すべて家族経営だと言っていた。

それは、血縁にこだわる封建制度ではなく、地域に根差したローカルビジネスを意味している。

親族たちが近所に住んでいるからこそ協力できているわけで、遠方に別れて暮らす親族は、もはや家族としては機能しない。

まさに笑恵館は、遠くの親族より近所の人と家族になることで、住宅と言う財産の新たな継承の形を模索している。

笑恵館のしおりには、まず初めに「Tさんの思い」が記されていて、これを読んで賛同する人たちが入会するのだが、このことが「夢を託すやり方」だ。

笑恵館の立ち上げに際し、僕が初めにやったことはこの「Tさん自身が納得のいく趣意書」を書くことだった。

それがこれほど大事なことだとわかったのはずっと後のこと。

初めは単に、Tさんの思いを知りたかっただけだった。

だから、現状の文章になるまで、何度も書き直しを繰り返した。

書いては実行し、そこで感じたことが盛り込まれていった。

そして最後に「自分の死後も継承されること」と「先例として真似されること」がはっきり明記された。

すべてを委ね、縛らないことが、新たな当事者=後継者を生むのだと実感する。

僕がこの気付きに至ったのには、僕自身にも原因がある。

それは、させてしまった「父から託された建設会社」を心で継承する新会社を作った際、僕は一切の権限を放棄してその会社を社員たちに譲ろうと考えたことだ。

当時の僕は巨額の個人債務を抱えていたので、経営者になることはできなかったが、むしろそれを理由に初めから後継者たちが経営する会社を作ってしまおうと考えた。

今現在、この会社とは無関係となり、時々外注で仕事を頼まれる程度の付き合いだ。

せっかく苦労して作った会社をなぜ経営しないのですか?とよく聞かれるが、僕にしてみれば、頼られることの無い自立した会社を作ることができたことこそが自慢だ。

まだ死んでいないけど、たとえ僕が死んでも何ともない会社を作ることができたことは、ある意味で「死後の夢」が叶ったのかもしれないと思う。