サービスの限界

僕は自分のビジネスを「サービス」と差別化するために「おせっかい」とか「用心棒」と呼んでいる。

それは「サービス」という概念に強く限界を感じるから。

「サービス」とは、役務を提供すること全般を指す言葉で、その範囲はとても広く、「サービス」を提供する側は、その対価をもらえばよいのだが、受ける側は対価に見合う「無形の恩恵」を受けることになる。

この「無形の恩恵」の質や中身をきちんと定義しないと、ソフトでお金をもらうのは難しい。

供給過剰でモノがあふれ、今後世界は間違いなくソフトビジネスの時代になるだろうが、それはハードがソフトに置き換わるという単純な話ではなく、すべてを「サービス」の一言で済ませてきた時代が終わること。

それは一体どういうことだろう。

「サービス」とは、形の残らない商品と言う意味で、第3次産業と呼ばれてきた。

天然資源を販売する第1次産業、それを人為的に加工して販売する第2次産業、そして人間の行為そのものを指す第3次産業と言う3分類は、世界遺産の

  • ①自然遺産
  • ②文化遺産
  • ③無形文化遺産

の分類とよく似ていて興味深い(https://nanoni.co.jp/150221-3参照)。

①と②は「客観的事物」の価値であるのに対し、③は「それを人々が大切に思う心」の価値を指す。

これを引用すれば、「サービス」の価値とは「それを受ける人がありがたいと思う心」を指すとでもいうべきか。

言い換えれば、自然や人工物などのモノなら客観的な比較が可能だが、人々の行為に客観的優劣はつけられない。

しかし僕は、この分類にあまり意味を感じない。

客観的価値とは、商品の数や「サービス」の回数などを意味しているにすぎず、それに対する好みや有難みは人それぞれだ。

適正価格より安ければ売れて高ければ売れないという理論は、極めて抽象的な標準モデルの話であり、人々は必要ならどんなに高くても買うし、要らないものはタダでも見向きもしない。

むしろ妥当な価格とは、仕入れ原価に影響される生産者側の問題であり、本来すべての資源はタダであることを考えれば、すべての価格は、誰かの言い値で決まっているといえるだろう。

今から20年程前、松濤の戸栗美術館で戸栗さんにお目にかかった際、「数千万もする古伊万里の陶器の値段は誰が決めるのか?」と尋ねたら、「そりゃ、古物商でも学者の先生でもなくお金を払う僕が決めるんだ」と言われたのを思い出す。

「価格を決めること」こそが、ビジネスの基本だと思う。

ところが「サービス」という言葉はさらにあいまいだ。

英語の「サービス」は「顧客本位」を意味する言葉だが、日本で使われる「サービス」には明らかに「無償奉仕」と言う意味が付きまとう。

これは、英語の「ビジネス」がすべての事業を指すのに対し、日本語の「ビジネス」が金儲けや商取引を意味するようになったのとよく似ている。

元の英語と全く違う意味で使われていればまだしも、和製英語と外来語が混然として使われるための弊害は大きい。

値引きの「サービス」を求める顧客に対し、まじめな「サービス」を提供しても意味がない。

「おもてなし」と言う言葉がもてはやされるのは、こうした理由からだと思う。

商品がモノから行為へ移行するなら、モノと同様に行為にもな形式があり、それを表現する多様な言葉が必要だ。

さらに深刻な弊害を感じるのは、「公共サービス」という概念だ。

公共部門の役割は、基本的に下記の3つと言われるが・・・

  1. 所得分配の公平化
  2. 資源配分における民間経済の補完
  3. マクロ経済の調整

これらに関する市民への働きかけを「公共サービス」と呼んでいる。

この場合の「サービス」には、まさに無償奉仕と顧客本位の両方が込められているが、この「サービス」は無償ではないし、市民は顧客ではない。

無償だと思うから人々は「サービス」に群がり列をなし、顧客だと思うから誰もがその権利を要求するがとんでもない話だ。

市民は税金で仕事をさせる発注者であり、行政は受託者、議員は代理人に過ぎない。

役所を訪れた際、職員から「お客様」と呼ばれるのは不愉快だし、「福祉のため」と恩着せがましく増税や借金ばかりする役所は一刻も早く解体したいと僕は思う。

だから僕は、自分のビジネスを「サービス」以外の言葉で語ろうと思う。

それが「おせっかい」と「用心棒」だ。

「おせっかい」とは、頼まれもしないのに思いついた手助けをしてしまうことで、目的さえ教えてもらえば、あとは自分のこととして考えて、あれこれ提案したり意見を言うのが僕の仕事だ。

新しいことに挑む人、自分一人では堂々巡りになってしまい、誰かに助けを求めようにも何を相談してよいのかも解らずに、困っている人の役に立てると僕は思う。

そして「用心棒」とは、依頼者の安全を守るため、身を挺して身代わりになることで、自分の得意分野の豊富な経験やノウハウを総動員して依頼者をサポート、代理するのが僕の仕事だ。

建築・土地活用・処理などに、初めて挑む人の役に立てると僕は思う。

そしてこれからは、「あなたのサービスを何と呼ぶか」という課題にも取り組んでいきたい。