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情動失禁とは「特殊な状況での失禁」のこと。些細なことで大喜びしたり激怒するなど、喜びや怒りなどの感情が正常の人々よりも簡単に多く漏れること。脳血管性認知症に特異的な症状。なおこの場合の失禁とは排尿・排便ではなく、泣く(涙を流す)ことである(Wikipediaより引用)。ビートルズの来日公演から50年が経ったということで、当時の様子が語られる中で、「女の子たちが興奮して失禁した話」を何度も聞くうちについ調べてしまった。当時の僕は小学3年生で、ビートルズにはまるのはもう少し後のことだが、映画館のスクリーンに激突したり、興奮して失禁したり気絶したりする姿をテレビで見たことは今でも覚えている。なぜこんなことを突然言い出したかというと、「感動してチビる」ことは良いことだと思うから、できることなら僕は「人を感動させチビらせたい」。

ビートルズファンの絶叫と失禁は、日本だけの現象ではなく、当時世界中で起きていた。ザ・フーのロジャーダルトリーが当時のことを振り返り、「自分たちの後ビートルズがステージに上がったとたん絶叫で音楽は聞こえなくなり、終了後のホールはいつもおしっこ臭かった」という。今日のテレビでも、ビートルズの前座トリを務めたドリフターズの仲本工事が「司会者がザ・ドリフターズの”ザ”といっただけでビートルズを待ちわびたファンが叫びだし、ステージに上がるまで足が震えた」と振り返る。その訳を論ずるのはやめておく。様々な要因があったと思う。だが、16億枚のレコード売上という宇宙的な数字からしても、結果的に世界が変わったことに異論はない。

僕にはこのことを、「ビートルズの偉大さ」とか、「ビートルズの偉業」と片付けてしまうことに違和感を覚える。それはビートルズに感動し、失禁してしまうわれわれ人間側にだって、その要因があったのではないかという意味だ。つまり、僕たちにはもともと「感動する地雷」が備わっていて、それをビートルズはまさに「踏んだ」のだ。その証拠に、世界中で絶叫し、気絶し、失禁したのは決まって若い女の子だった。若い女の子だけが失禁する音楽なんて、そんなの存在するだろうか。日本武道館で前代未聞の警備態勢を敷いたのは、自分の娘が絶叫し、2階から飛び降りるかもしれないと気を揉む父親たちだった。だから、2階席のすべての通路は警官で埋め尽くし、すべての警官は女の子を抱きかかえるために白手袋をはめたという。今ではすべての観客は振付までコントロールされ、整然としたライブに警官は要らなくなった。地雷よりずっと安全なスイッチを適度に刺激することで、多くのビジネスが成立している。

だが僕は、できることなら地雷を踏みたい。そんな思いで「失禁」を調べていたら、先ほどの「情動失禁」という言葉を見つけた。だが、「情動失禁」という綴りはストライクでも、その意味は少しずれていた。些細なことで大騒ぎすること。感情が通常に人より簡単に漏れ出す疾患であること。そして、おしっこではなく涙(泣く)が溢れることだという。これを読んで、僕はがっかりした。僕が探し求めていたのは、「情動失禁」の字の通り、「感情の高まりが失禁を誘発すること」に他ならない。そんなスイッチが、僕にも、誰にでもあるはずだ。そしてそのスイッチこそ、人間を動かし、人間を変えるスイッチかも知れない。

僕がこんなことを主張するのは、僕自身に覚えがあるからだ。「すごいものを見てチビった経験」は、これまで数知れない。映画館の最前列でジョーズを見てチビってしまい、その後映画の前半分に行かなくなったのは、僕だけではないと思う!?。だから僕は、失禁の話に敏感だ。今は無き谷津遊園に初めてコークスクリューコースターができて2回転ひねりが話題になった時、売店で紙パンツが売られていたことを僕は忘れられない。建築家Mさんが自分で設計した精神障がい者施設を案内しながら、「ここから見事な夕日が沈むのを眺めながら、入所者が失禁してしまうんですよ」と誇らしげに語っていたのを忘れられない。

その後、僕自身ビートルズに心酔し、16億枚のうち20枚くらいは僕が購入した。それはごく自然に息子たちに引き継がれ、一緒に歌える数少ないレパートリーとなった。世界の人は、誰一人として同じ人はいないはずなのに、なぜこれほど多くの人がビートルズに惹かれるのか、そのこと自体がすごいことだ。彼らの半分はすでにこの世を去り、残った爺を見て失禁する人はもういない。だが、当時の失禁する女の子たちを、今映像で振り返ると、こちらもチビりそうになるのを感じる。僕は文字通りの「情動失禁」を目指して、世界を感じたいとこっそり宣言する。