2016-04-12 17.58.07

羽咋のプロジェクトに集まったメンバーたちにとって、宇土野の古民家は驚きだったようだが、そのこと自体僕には驚きだった。なぜなら、彼らにとってこの古民家がもう少し身近というか、当たり前の存在だと僕は想像していたからだ。しかし、このギャップにこそ、大きなヒントやチャンスが隠れているように思う。つまり、当たり前だと思っていたことが実は特別なことだということと、特別だと思っていたことが実は当たり前なことだということが、どちらも「地域の価値」の手がかりであり、本質なのではないかと思う。

羽咋は能登を代表する「海のまち」でもある。海岸の南側は「千里浜」と言われるエリアで、きめの細かい砂浜が8kmに渡って続いている。国内で唯一、砂浜を車が自由に走れる「千里浜なぎさドライブウェイ」として有名だ。また、北側の「柴垣」エリアは、能登半島随一の海水浴場として知られたエリアで、中能登鉄道の駅を中心に民宿街として賑わったそうだ。ところが意外なことに、鉄道の廃線後は能登半島で最初にさびれてしまい、当時の面影をそのまま残す遺跡のようなたたずまいとなっている。今回知り合ったメンバーたちは、このまちを面白くするために僕を訪ねてやってきたという。

そんなエリアで育った地元の人たちには、その魅力も価値も全く見えていない。高速道路沿いの道の駅開発が話題の中心で、通過する観光客の引き留め誘致に盛り上がっているようだが、周辺地域や都会と競うことばかり考えて、他所にない独自の魅力を発信し、世界に向けた別次元の情報発信をしようなどと思いもつかないようだ。地方創生事業の石川県構想においても、加賀・金沢・輪島の3つが重点エリアに位置付けられ、残りのエリアは蚊帳の外だ。これまでの知名度からしてこの3エリアのテコ入れが妥当とされ、コンセンサスも作りやすいのかもしれないが、その選定には大した根拠もなく、今後ますますつまらない事業が実施され、取り返しのつかない状況になる危険がある。なぜなら、官主導のまちづくりは、所有者不在の無責任の塊だからだ。

そもそも観光とは、自分のまちの魅力を自慢する事業のはず。地域社会の住民が、居ながらにして世界とつながることができるようになれば、定着率は高まり、転入者すら生まれるかもしれない。人口の何倍もの観光客が訪れるのならいざ知らず、ごく一部の施設や業者のための観光事業など、地域を挙げて協力する意味すらない。「そのまちではごく当たり前のことが、他所の人からすると特別なこと」を発信することが観光の本質だと思う。

自分たちの目では見ることのできない「外から見た価値」を知るためには、そこによそ者を受け入れるのが最良の道だ。そこで僕の提案は、今年の夏にツアーを実施することだ。そのツアーでは、いわゆる観光資源を一切あてにしてはいけない。自分たちでまちの地図を作り、コースを描く。旅行パンフレットを作り、まちの歴史を説明する。まちの当たり前の景色を見て、まちの物語を聞き、まちの料理を味わうこと。そして。まちが描く未来と困りごとを説明し、広く意見を募ること。

そんなツアーを企画して、市内や金沢で参加者を募る。東京まで行かなくても、金沢に行けば田舎にあこがれる都会人はたくさんいるし、身近な市内にだって仕事の都合で転勤してきた人がたくさんいるはずだ。問題は、大勢観光客を集めることではなく、大勢の地元の人を巻き込むこと。観光は観光客のためである前に、地元の人のためにあるべきだと僕は思う。