20160319

映画【マネーショート】を見てきた。「華麗なる大逆転」という副題は「くそ」だが、マネーに群がる「くそども」が見事に描かれた映画だった。4人の金融マンが異なるプロセスでサブプライムローンの破たんを予見し、そのリスクを空売りして大儲けを狙う。大雑把に言えば、破綻する仕組みと同じ仕組みで大儲けを狙うという何とも皮肉な話なのだが、これがほぼ実話に基づいていることがまた悲しい。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、「事実は小説よりも愚かだ」と言い換えたいくらいだ。

2002年、僕は縁あって名古屋のデベロッパーのM社長に誘われて、用心棒代わりにワシントン州立大学のビジネスセミナーをお付き合いしたことがある。シアトルに1週間滞在し、最後の週末に現地で建売住宅を売りまくる友人に現場を案内してもらった。彼は土地を手付金で押さえ、建売分譲住宅の図面を引き、建設労働者たちにこれを売り込んで、契約を取りまくっていた。当然住宅ローンを組むのだが、土地と建物とローンの契約書を取りまとめてそのまま銀行に売りに行くという。そこで僕は友人に「じゃ、ローンの審査は誰がするのか?」と聞くと、「もちろん僕が全部やる。でも、ローンを実行するのは銀行だから、僕は関係ない」という。「じゃ、変動金利ではじめは安いが、金利が上がり返済ができなくなったらどうなるんだ?」と聞くと、「その時には、すでに債権は証券化されて細切れだし、その再建に保険をかけて設ける仕組みだってある。」と自信満々だ。ノーベル賞に輝いた「金融工学」に基づき、アメリカの金融システムは、不死身の神のように崇められていた。

僕は、金融マジックを見破ることはできなかったが、「建売住宅を建設労働者が買っている」という話で寒気を覚えたのを忘れない。どう考えても、そんなこと続くはずがない。映画の中でも、破綻を予感した金融マンが、建売住宅の現場を訪れ、すでに破たんが始まっていることを目の当たりにする。やがて、住宅ローンの破たんは表面化し、住宅の差し押さえ件数がうなぎ上りに増え始める。しかし、小口証券化された債権は、価格も評価も一向に崩れない。評価会社にねじ込んでも、「評価を下げたら顧客が減るだけ」と開き直る。誰もが泥船に乗っていることに気付き始めるが、沈没が怖くて誰も降りる勇気がない。すでに沈没しているのに、みんなで「まだ沈んでいない」と言っているのと変わらない。

金融破たんリスクに保険をかけるという形で、大逆転を狙った金融マンたちは、次第に焦ることになる。仕組み全部が破たんする前に、自分の会社がつぶれる前に、保険料負担に耐え切れなくなる前に、つまり自分に好都合な破たんをしてくれないと、大逆転の前に死んでしまう。破綻を隠し続ける巨大な仕組みを「異常!」とののしる自分たちは、悪あがきもせず潔く死んでいくことを「正常」と言っているにすぎないことに気付き始める。大多数の人たちが異常となってしまった時、それを異常と言うこと自体、何の意味もなくなってしまう。映画の終盤で一人の金融マンが「自分が間違うときは、その間違いに気づくことはない」とつぶやく。その間違いに気づく時は、すでに取り返しのつかない状態になってからだ。

ささやかながら、倒産を経験した僕にとって、自分が正常であることが拠り所であったことは間違いない。自分が正常かどうかを知りたくて、僕は引きこもらず、少し無理をしてでも多くの人に会い、話をした。そして判ったことは、「破綻することが正常」で「破綻しないことが異常」ということだ。だから、日々破綻し、失敗し、やり直すことが安心だ。破綻せず、決裂せず、うまくいくことほど不気味なことはない。