4.土地オーナー支援

所有権を使うビジネス

いま日本中で放置される土地が増えている。僕は「この問題」に取り組んでいきたいと思うのだが、なかなかうまく行かない。それは、「放置されていること」と「使われていないこと」が、混然と議論され、問題点が不明瞭だからではないか。土地が使われていないことは、確かに良くない。空き家や空き地、耕作放棄地など使われていれば生まれずに済むはずだ。だが、農業がだめならアパートを建てればいいのかといえばそれも問題だ。郊外の土地を買いあさる産業廃棄物業者に任せておくと、日本中がゴミ捨て場にされてしまう。つまり土地は「使われればいい」という訳でもなく、迷惑な使われ方をする場合もある。結局、そのような「不本意な状態」を放置していることが問題だということにならないだろうか。

ところがそうなると、犯人は明らかに「所有者」ということになる。所有権とは「利用権と収益権と処分権」の3つから成るそうだが、裏返して言えば「利用せず、収益を上げず、処分しなくてもよい」ということになってしまう。これは、選挙権があっても投票に行かなくてもよいのと同じこと。権利とは「やらなくてもよい」というお墨付きでもある。だが、こうした不具合を解消する方法は様々ある。例えば株式会社が良い例だ。所有権と経営権を分離して、所有者は経営者に経営を委ねるが任命権も持っていて、経営者がさぼっているとクビにしてしまう。このように、権利者自らが、権利の行使を怠らないための仕組みを作ることこそが、解決の手掛かりになるはずだ。

土地を「永久に消滅しない株式会社」と考えてみよう。会社と違い土地は誰かが作ったものではないが、様々な経緯を経て誰かの所有物となっている。その人をオーナー=株主と考える。土地はたとえ売買したことが無くても、その価格が国によって評価されているので、それを株価と考える。土地価格の変化は、株価の変化と考えるとわかりやすいと思う。そこで問題は、この会社の社長は誰かということだ。「管理は不動産屋さんにお任せしています」というオーナーがいたとしても、それは社長にすべての経営権をゆだねるのとは違い、一部の権限を下請け業者に外注しているに過ぎない。経営とは定款に事業目的を定め、その実現に向けて事業を行うこと。土地を会社に例えるなら、その経営とは土地を方針に沿って保全・整備し利用を促進することだ。

その意味では、すべての土地はオーナーが社長を兼務しているのが実情だ。株主と経営者が別人格の株式会社なら、株主が変わるたびに事業内容が変わってしまうことは考えにくいが、通常土地オーナーが変わることは土地利用の変更を意味する。そもそも、株式会社において株主と経営者を分離したのは、経営の永続性を確保するためともいえるが、土地はその努力をせずとも「永久に消滅しない」ので、むしろ所有権を強固にするために所有と経営を分離しなかったとも考えられる。もしくは「天皇」のような象徴的存在が対外的には国土を所有し、領主や大名たちは、天皇から土地を授かる(預かる)形式をとったのかもしれない。いずれにせよ、実態として土地は、所有と経営が一体化した「オーナー社長たち」に委ねられている。

問題はまさにこの点だ。放置される土地が増えるのは、「経営意欲もしくは能力のないオーナーの増加」によるものだと、僕は確信する。だがそれは、決して土地オーナーを責めているのではない。株式会社に例えたのはそのためだ。株式会社の多くがオーナー社長のチャレンジから生まれ、やがて株式を公開し、社会の公器となっていく成功者が現れる。だが大多数の会社は、公開はおろか所有と経営の分離や後継者の育成もままならず、最後は廃業や売却で終わることとなる。経営と所有を分離する仕組みがあってさえ、大多数はこれを実現できず継続を諦めているというのに、その仕組みの無い土地経営をオーナーが自力で実現するのは至難の業だ。僕は、永続を前提とする土地経営が行われている民有地を、これまで見たことがない。

民有地の永続性など、なぜ必要なのか・・・とあなたは思うだろう。そんなこと、国がどうにかするにきまっているだろうと。とんでもない、日本政府は、この問題には一切関わるつもりはないし、そもそも問題と思っていない。民間経済は資本主義のもと、自由な競争と市場の調整機能により、おのずと最適化していくことになっている。役に立たなければ売ればいい。売れないのなら値段を下げればいい。しかし、使い道のない土地は相続も放棄され、最後は国庫に編入されるのだが、やがて競売で処分される。国だけではない、誰もが最後に欲しいのは、土地ではなくお金だから仕方がない。こうして、今日も多くの土地が放棄されている。だが土地は無限・不変の資源なので、捨ててもそこに存在する。

本来「処分」とは、消えて無くなることのはずだが、土地は誰かに譲るだけのこと。結局誰かが所有者となり、「放置された状態」が継承されていく。株式会社なら、潰れたら消滅してしまうので、国もその損害を軽減できるなら救済に乗り出すが、土地は放っておいても消滅しないので、誰も手を差し伸べようとしない。その結果、誰も利用できない土地が増え続けている。買い手が現れるのを漫然と待つ土地、収益を生む見込みが無いので放置される土地、登記簿上所有しているがどこにあるのかわからない土地、その逆に登記簿上所有者とされている人の所在が分からない土地などなど。

一方で、買い手が見つかり売却できた土地はその後どうなるのだろう。自ら事業を行うために購入したのであれば、その事業が持続する間は利活用されるだろう。しかし、産業廃棄物処理場など、事業完了後はいずれ放置されてしまうケースも少なくない。また、多くの土地は自己使用でなく転売用に仕入れたにすぎず、区画割や開発によってさらに細分化して売却される。こうした小さな土地を取得した人たちが、土地を永続的に活用するとは考えにくい。必要が無くなれば転売され、やがて老朽化した後に再開発され、更なる細分化が繰り返される。だがすでに人口の減少が始まった我が国において、新規開発のニーズは減少する。私たちはこれまでと違う開発や利用法を生み出さなければ、経済活力を維持できない。

そこで僕がやりたいことは、土地を資産として放置せず、資源として活用できる状態に維持するビジネスを生み出すこと。土地の所有と経営を分離し、土地の継続的利活用を最優先とした事業を行うことだ。ここでいう「利活用」とは、「放置しないこと」。すべての土地について「どうあるべきか」を考え、その状態を維持することが目的だ。立地を生かし稼げる場所ではその収益を最大化すべきだし、利用者のいない場所は新たなチャレンジに無償で提供すべきだろう。それらの事業は個別の土地単位では成立しなくても、収益の上がる土地とそうでない土地の所有権を統合すれば成立する。所有者は株主のように土地を出資し、それらが稼ぎ出す収益を全体の土地保全費用に充当することで、土地を守り管理する仕事を創出する。株主に対する配当は、そんな仕事や機会の提供だ。それらを活用して、後継者を育てることが継続には欠かせない。大切なのは、一時的な換金価値でなく、収益を生み出し続ける継続の仕組みだ。

そして最後に、この事業・・・荒廃した民有国土を自らの財源で再生し、応分の公共コスト(固定資産税)を負担し続けることができる仕組みづくりを、公益事業に位置付けたい。世代を超え、みんながみんなのためにやる事業なら、それは民間主体の公益事業と考えるべきだろう。そもそも、将来売却されることを前提として所有する人を所有者とする必要などあるのだろうか。その土地をもって独立国家を作るとか、外国の領土として売り払うのなら別だが、しょせんは日本国領土の利用権を売買しているに過ぎないのではないか。だとしたら、あえて個人が所有することで相続税を払うより、みんなの財産にした方が合理的だ。売る気の無い所有者が集まって、みんなで土地を所有する法人を作り、みんなで国づくりに取り組むために、僕は行動する。