所有権と自由

Oレジデンスのシンポジウムにコメンテーターとして招かれた。このプロジェクトは自宅をシェアハウス的な賃貸マンションに建替え、その一部を地域に開放するというもので、僕は笑恵館で似たようなことに取り組む人という位置づけだ。笑恵館では、パン屋を中心に施設を開放しているが、Oレジデンスでは「百人力サロン」というメンバーシップで相互扶助やシェアによる地域福祉の向上を目指している。どちらも共通しているのは、民間個人nが公的な取り組みに挑むこと。そこには公的サービスに付きまとう制約や画一性を打破する「自由」があるからこそ、これまで解決できなかった地域の課題に新たな答えを提示できるという。だから皆さんの参加や協力が必要だと議論は進むのだが、果たしてそうなんだろうか。

公園や役所には自由がないが、民間施設には自由があるというのは間違いだ。僕は渋谷マークシティの中で渋谷区の所有スペースを運営したり、三軒茶屋のキャロットタワーでイベントをした経験で言うと、民間の複合施設は区役所よりも制約だらけで何もできない。場所だけでなく、仕事をするにも大企業とお役所と、どちらが柔軟かというと、むしろお役所の方だったりする。自由とは、何かを決める権利のこと。決定や判断のできないところに自由などない。2つのプロジェクトに共通する自由があるとすれば、それは民間事業ということではなく、所有者主導の事業であること。つまり、すべての決定権を持つ所有者が取り組むからこそ、そこに自由があるのだと僕は思う。行政や、大企業よりも、小さなオーナー企業や個人の方が自由なのはそのせいだ。賃貸物件を又貸ししているシェアハウスと、オーナー自らが自分の所有物をシェアするのでは、根本的に違うことを知って欲しい。

 

【賃貸とシェア】

Oレジデンスはシェアハウス的な集合住宅で、その中にオーナー住宅も含まれているのが特徴だ。浴室、洗濯室、ラウンジ、屋上庭園などをオーナーとシェアするので、その自由度も極めて高い。だが、そんなゆったりしたプランをRC増で新築したため、設備投資分の費用が賃料に加算され、入居費用は笑恵館の2倍の金額になっている。そして、開業から9カ月が経過したにもかかわらずまだ2割の入居率にとどまっているのは、高い賃料が原因だという共通認識ができつつある。関係者は「このプロジェクトは従来にない新しいスタイルなので、理解してもらうのが難しい」と口を揃えるが、「それはどんな新しさでどんな価値なのか」と訊ねても「辛抱強くやって見せるだけ」とのこと。僕は自分の姿を見ているような気がして、腹が立った。こういう状況は、何とか打開しなくてはいけない。

そこでまず、周辺の類似物件と比較し、このプロジェクトの価値を可視化すべきと指摘した。すると「専有面積25m2の類似物件を見渡すと、その賃料は5~10万円ほど安い。しかしこのプロジェクトは専有部分以外にも165m2ほどの共用スペースを使うことができるので、これを15世帯で割ると11m2となり、36m2の類似物件と比較すればそれほど高くはない」という答えが返ってきた。これではだめだ。価値の違いを可視化するというのは、「2倍も3倍も」できれば「10倍も100倍も得だ」ということを示したい。まず上記の説明で間違っているのは165m2を15で割るという発想。シェアというのは165を15で割るのでなく、15人が使うから15倍に生かされるという発想だ。さらに言えば、15人は利害の反する競合者ではなく一緒に暮らす協力者だ。つまりOレジデンスは「25m2の個室と165m2の共有スペースを14人の仲間と共に自由に使う住まい」となる。これを同額賃料の周辺物件と比較すれば、その優位性は明らかなはず。この新しい価値観をきちんと説明することこそが、新しいチャレンジなのではないか。

 

【所有と家族】

Oレジデンスはオーナーとともに暮らすシェアハウス。オーナーのRさんは、入居者同士が互いの異変に気づく程度の緩やかな家族になることを目指している。これに対し、話を聞いた学生が「見ず知らずの人を家族にするなんて本当にできるんですか。現にRさんのご両親は施設にはいかず家族に看取られることを希望したと聞きました。血のつながりのない他人と家族になれるんですか。」と質問した。これに対しRさんは「私の両親は明治生まれの人で、それを当たり前と感じていました。でも時代は変わり私はそうは思いません。むしろ血縁家族に縛られたくも縛りたくもありません」と答えた。この議論は笑恵館でも繰り返されるのでよくわかるのだが、「家族とは何か」というボタンの掛け違いが混乱を招いている。

昔の人が老人ホームに行きたがらないのは、若いころ老人ホームが無かったからだ。世界ではこれがむしろ多数派で、家族を自宅で看取らない方が特殊な国だ。そして「家族」は血縁に限定されない。両親と子供の標準世帯などというものは、サラリーマン社会の産物でまだ3世代程度を経たにすぎず、広く世界と歴史を見渡せば、家族はもっと大きな組織だ。そもそも一番大切な人生の伴侶は赤の他人であり、近親親族とはむしろ別れるべきなのかもしれない。それでは家族をつなぐものは一体何か。それは「所有権」だと僕は思う。「所有権をシェアするメンバー」が家族の定義だからこそ、そこに相続権が発生する。従って「貸借」という利害関係から「シェア」という家族関係に移行しつつあるのではないかと僕は思う。その意味で、Oレジデンスや笑恵館では「所有権のシェア」という形での家族づくりが始まっていると考えてよいのではないだろうか。

 

【古屋と新築】

Oレジデンスが新築で強固な鉄筋コンクリート増なのに対し、笑恵館は老朽化した木造建築だ。この違いは意外な違いをもたらした。それは全社の入居者が80代の高齢者中心なのに対し、後者の入居者が30代の若者中心だということ。そちらも多様な世代の入居者に入ってもらいたいと願っているのに、それは実現していない。Oレジデンスは建物も頑丈で設備も整い高齢者には喜ばれるが家賃は高いので若者には敷居が高い。それに対し、笑恵館は賃料も安く懐かしい雰囲気で若者に人気があるが、高齢者はわざわざ古い建物に住みたいとは思わない。どちらも一長一短で、課題解決は難しい。しかし双方に共通しているのは、同様な取り組みが増えていくことを願っていること。周囲より優れているという価値でなく、周囲と共生し高め合う価値を求めている点だ。だとすれば、1件単独で成立しなくても、違う答えを探せばいいと僕は思う。

笑恵館は満室の悩みを抱えている。それは、新たな入居者を受け入れられないこと。だから大きな家に一人で暮らす高齢者に自宅を開放してもらい、その収入を財源にして笑恵館に入居してもらえば、この仕組みはやがて町中に広がっていくと考えた。ところが、肝心な高齢者に人気が低く、このサイクルが動かない。もしも、Oプロジェクトと連携できれば、高齢者の持て余している大きな家を若者たちがシェアすれば、余裕をもってOプロジェクトに入居できる収入を得られるはず。古屋を捨て新築に乗り換えていく従来の破滅型ライフスタイルを、新築と古屋の双方を活用する仕組みに変換できれば、面白いと僕は思う。

 

【所有者のメリット】

笑恵館やOプロジェクトのオーナーが、身銭を切って建物を直し、自分の専有部分を減らしてまで住まいを開放するのはなぜなのか。その上、自分のものとして使える仲間=家族を募り、個人所有の特権さえも他人に分け与えている。笑恵館に至っては、望みどおりに実現したら、子どもに相続するよりも事業の継続を優先するのがオーナーの希望だ。そんなことをしたら、次第に所有権は危うくなるのでは、仲間たちに束縛されるのでは、そしていざというときに土地を売れなくなってしまうのではないだろうか。いくら新しい試みと言っても、多くの人が理解に苦しむことばかりで、所詮奇特な人の所業にすぎないのではないだろうか。

こうした疑問はもっともだと思うが、それは違う。笑恵館のTさんも、OプロジェクトのRさんも、これが一番得だと思ってやっている。僕はそれを確信するからこれを手伝っている。共通するのは「土地を売る気が無い」ということ。せっかくの土地を使って何ができるかを考えている点だ。土地はもともと誰かが作ったものでなく授かりもの=資源だ。埋立地にしても、開墾地にしても、その場所自体は人間が作ったものではない。石油やマグロと同じ、ただで使える資源だ。その上土地という資源は絶対に減ることはないし、持ち去ることもできない。だから、これをうまく使うことができれば、それは永遠に続けることができる。笑恵館やOプロジェクトを利用して得られる様々な価値は、それを許可するオーナーの裁量次第でいくらでも増えていく。常々Tさんが口にする「結局笑恵館で一番得をしているのは、私ですよ」という言葉が、何よりこのことを物語っていると僕は思う。