疑問の作り方

この宇宙には数えきれない星があり、その中には地球と同じような星も多数あり、もしも生命が自然に誕生したのなら宇宙全体には数多くの生命が存在して、その中には人類よりもはるかに高度な文明を持っていてもおかしくない。

自然科学の研究者の大部分がこの説を支持している、いや、否定できずにいる。

それなのに、地球外の生命からの電波や地球にやってきた記録はもちろんのこと、彼らの存在を示唆すような痕跡すら、まだ何一つ見つかっていない。

1950年、エンリコフェルミという物理学者が同僚と昼食を取りながら「彼らは一体どこにいるんだ?」とつぶやいたことから、地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことを示す言葉として普及したのだそうだ。

あなたはひょっとして、「科学者って暇な人たちだな」と考えるかもしれないが、これは「疑問を持つ」という瞬間を捉えたとても貴重なエピソードだと言える。

疑問を持つ瞬間とは、その直前まで疑問を持っていないことを意味する。

疑問を持つ瞬間に、一体何が起きたのかというと、それまで疑問に思っていなかったことを「おかしい!」と気づいたと考えられる。

それではどうして「おかしい!」と気づくことができたのか、それは「新たなおかしい」に気づいたのではなく、「おかしいと思っていなかった自分」に気づく瞬間だ。

「宇宙には太陽と同等以上に明るい恒星がほぼ一様に分布しているのに、空はなぜ明るくないのか」というオルパースのパラドックスが良い例だ。

簡単に言えば「夜空はなぜ暗い」という瞬間のこと。

「夜空は暗い」という誰でも知っていることに「なぜ」を付け加えただけのこと。

つまり疑問とは、当たり前のことに「なぜ」と付け加えることだと僕は思う。

この疑問がなければあらゆる研究は始まらず、人類の進歩は無かったと思う。

オルパースのパラドックスは、17世紀ごろから話題となり、20世紀になってからほぼ説明されるようになったそうだ。

フェルミのパラドックスにも、現在多くの科学者たちが挑み続けている。

僕たちだって身近な課題に「なぜ」をつけ、それを解き、解決していく道を歩きたい。