自分と社会をつなぐもの(2つの映画)

最近見た2つの映画を、勝手に対比して面白がっているうちに、気付いたことがあるのでは書き留めたい。

一つはディズニー・ピクサーのアニメ【インサイドヘッド】。

11歳の少女の頭の中には[ヨロコビ]、[イカリ]、[ムカムカ]、[ビビリ]そして[カナシミ]の5人がいて、少女を幸せにすべく日々奮闘しているという話。

リーダーの[ヨロコビ]がいつも問題を起こす[カナシミ]と脳内世界を探検するのだが(ネタバレだからこれくらい)、この役割分担がとても面白い。

そして、周囲の大人や友達、そして犬や猫の脳内にも同様の5人がいるのだが、人によってリーダーが違っていて、夫婦喧嘩中の葛藤など本当に笑えた。

自分の感情を5つに分けて考えることは、味覚を[あまい]、[からい]、[しょっぱい]、[すっぱい]そして[にがい]に分けるのとよく似ている。

豊かさは、多様性の賜物だとつくづく思う。

一方で、SF大作【ダイバージェント】は現代文明破たん後に生き延びたシカゴでの物語。

成人するときに判別テストで[無欲]、[平和]、[高潔]、[博学]、[勇敢]の5つに分類され、社会はそれぞれの共同体に分かれて一見完璧な秩序が保たれている。

ダイバージェントとは、すべての資質を併せ持つ者で異端者と呼ばれるが、やがて5つの分類に適応できなかった[無派閥]と連携し、現体制に立ち向かうこととなる。

2つの映画に共通するのは、世界を説明し理解するために、ぞの全体を構成する要素に分解しそれらを組み合わせることだ、

どちらの映画も、たまたま5つに分解しているが、それは味覚を「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味」の5つで理解していることと同じことで、とても分かりやすい。

そして2つの違いは、現実社会は考え方で動くのに対し、頭の中は感じ方で動いている。

人間は体で感じたことを脳内で処理し、そこで考えた結果行動するのだから、これもすんなり理解できる。

結局この共通点と相違点は、世界も自分も複雑で、多様な要素に分解しなければ理解できないことを示している。

世界が多様な要素の組み合わせなら、重要なのは、それはどんな要素でできているかを知ることだ。

善や悪を理解するには、2つを比べるのでなく、まず善悪に共通する多様な要素をしり、それらがどのような違いを生み出しているかを知る必要があると思う。

脳内つまり自分なら、感じたことや願い事を分解して他人(部下、顧客や仲間)に説明する努力をすること。

脳外つまり社会なら、新たな統合者や分類外の落ちこぼれ(実は僕たち自身)が新たな答えを提示すること、

2つの映画をつないで考えること自体が、自分の思いを実現する行為なのかもしれない。