泣くと笑う

映画の翻訳家として有名な戸田奈津子さんが、仕事の話をするのをテレビで聞いた。

映画の翻訳は言葉を置き換えるのではなく、意味や感情を伝えること。

たとえ内容が正しくても、映画がつまらなくなってしまったら意味がない。

つまり、映画の面白さや恐ろしさを伝えるのが仕事だという。

これは他人事とは思えない。

人が動くには、動き方を知る以前に動きたいと思うことが欠かせない。

動きたければ必ず動き方を知りたくなるのであって、動き方を知れば動きたくなるとは限らない。

映画の場合は、面白いシーンでは笑いたくなり、悲しいシーンでは泣きたくなる。

笑いたくなる、泣きたくなる翻訳をしなければ、映画が成立しなくなる。

「泣かせる翻訳は簡単なんです」と戸田さんは言う。

なぜなら、世界中の人はおよそ同じことで泣くからだ。

人は悲しい時、悔しい時、そしてあまりにもうれしい時にそれが判れば共感して泣いてくれる。

ところが「笑い」はそう簡単ではないそうだ。

なぜなら世界中の人たちは違うことを見て笑うという。

たった一つのジョークでも、その地域、時代の背景を理解しないと笑えない。

まだ映画にセリフのない時代、チャップリンやキートンが言葉を使わずに人々を笑わせることができたとしても、それは映画の設定に身を委ねた人だけのこと。

確かに、笑う理由を問われれば、泣くことよりもずっと複雑で個別的だ。

そこで映画では、時としてセリフとは何の関係も無いことを字幕にすることもあるそうだ。

ダジャレや方言などはそもそも翻訳不可能なので、コメディ映画の仕事は本当に大変そうだ。

「泣くと笑う」を「悲しいと嬉しい」で片づけるような安易な考えをしないよう気をつけたい。