先日のテレビ「世界ふしぎ発見!」で、ポンペイ最盛期の奴隷が想像以上に優遇されていた件、識者が「生かさず殺さず不自由なく暮らしてもらい子供も作ってもらい労働力を提供してもらう、今で言えば言葉は悪いですがサラリーマンの立場ですね。」とコメントしたことが話題になっている。残念ながら、僕はこの番組を見ていないが、ツイッターには「まったくだ」「いやそうは思わない」という賛否の他、「そんな比較はおかしい」「時代が違うから無意味」という批評、「識者は”しゃ=社畜”と言いたかったのでは?」などの憶測、「案外奴隷って幸せだったのかも」などの感想、という風に実に様々な意見が寄せられている。僕がこの話で一番面白いと思ったことは、ここに書いた通り様々な意見を賛否、批判、憶測、感想などに分類すること。このことについて意見を言いたい。

一見様々な意見が述べられているように思えるけど、よく考えてみるとこれらの意見の多くが違う見地から述べられていて、僕はその分類をして楽しんだ。違う見地の意見はかみ合わずに議論にはならない。例えば、賛否は主観的だが批評は客観的で、議論しても仕方がない。議論する価値があるのは賛否の中の賛成の人と反対の人の間のこと。多様な意見というのは、賛成の理由、否定の理由が多様であること。異なる多くの意見が出ればそれが多様な議論かというと、決してそうではなく、ただ違うことを言っているだけのこと。違う言い方をしているだけのことだったりする訳だ。

僕は、「サラリーマンと奴隷を一緒ごたにすることの何が問題なのか」が議論の核心だと思う。サラリーマンとは立派な人か?、奴隷とは軽蔑すべき人か?、僕はこの論点がみんなの琴線に触れたのではないかと感じた。