戦争は誰がする

A Chinese soldier with the People's Liberation Army waits to assist with American and Chinese delegation's traffic at Shenyang training base, China, Mar. 24, 2007. DoD photo by Staff Sgt. D. Myles Cullen (released)

数年前放映された「サンデル教授の白熱教室」というテレビ番組は「白熱教室ブーム」の先駆けとなった。

ハーバード大学の哲学の授業をテレビで公開放送するという試みは、様々な意味でチャレンジングだった。

哲学を学ぶ人から見れば「こんなの哲学じゃない」と言われるかもしれないが、一般庶民からすれば「十分に哲学」だったと思う。

特に「哲学には何の専門知識も予備知識もいりません、すべてが私たちの知っていることで出来上がっているのですから」という風な問いかけが、今も記憶に残っている。

取り扱う問題も、「大勢の人を救うために一人を殺してもよいか」とか、「同性婚は正しいか」といった身近な現実問題で、とかく「学校での勉強は社会で役に立たない」という風潮に真っ向から立ち向かい、見事に戦ったと思う。

そんな中、僕が一番忘れられないテーマが「戦争は誰がする」だ。

世界にはさまざまな軍隊があり、大別すると①傭兵の軍隊、②志願制の軍隊、③徴兵制の軍隊の3つに分けられるが、あなたはどれが正しいと思うか・・・という話。

まず①は戦争は勝たなければいけないのでなるべく強いプロを雇って戦わせる、フランス軍が有名だが、元軍人を集めた民間軍事会社も存在する。

次に②は、行きたくない人には強要せず、国を愛する志願者の身が参加する軍隊で、アメリカが代表例。

そして、③は国が闘うのだから国民は全員強制参加ということで、減少傾向にあるものの軍隊保有国170のうち、67か国で採用されている。

近年常備軍を廃止したコスタリカでは、有事の際は徴兵制を実施することが憲法に明記されており、軍隊のあり方・・・誰が闘うかについては本当に様々だ。

サンデル教授が講義の中で3つのどれを選ぶかを問うと、やはり大多数の学生が志願制を支持する。

ところがその次に「それではこの中で自分も志願する人は手をあげて」と尋ねると、一人も手をあげない。

「おや、ハーバード大の諸君は誰も愛国心が無いのかな?」と皮肉たっぶりに呼びかけると、場内は気まずい沈黙に包まれた。

総論と各論、本音と建て前、いろいろな言い方があるが、いずれにせよこんなもんだ。

いかに自分のことを棚に上げているか、僕だって胸が痛む。

しかしこの議論はこの後が面白い。

それは「徴兵制の是非」の問題だ。

はじめに3つの軍隊の是非を訪ねた時、①と③にも若干の支持者がいた。

①の支持者の言い分は「自分は戦争したくない、どうしてもしたいのなら人を雇ってやればいい」というもの。

そして③の支持者に意見を聞くと、一人の女子学生がこう答えた。

「戦争は国同士の戦いなので、国民全員が当事者となるべきだ。やるからには人任せにはできない、でもやりたくなければやめるべきだ。」と。

この答えに僕は、目からウロコが落ちた。

彼女は戦争をしたくもないし、行きたくもない。

この3つの中で、戦争をやめることができるのは徴兵制しかない・・・と言っているのだ。

戦争をしたいのか、戦争に行きたいのか、僕たちはこの肝心な議論をしているだろうか。

調べると、「自衛権(じえいけん)とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利」とある。

以前話したと思うが「権利」とは「しなくてもいい自由」のことなので「武力で反撃してもいいのは当たり前で、しなくてもいい」が正しい説明。

集団的自衛権とか何とか言ってこの権利を拡大しようとしているが、はっきり言って本当に必要なら法律なんか糞くらえで、僕らは必要なことをやるだけだ。

問題は戦争をしたい人がいるということ。

武器を売りたいと思っている人がいることだ。

戦争に反対なのに武器を作るとはどういうことか。

今この国が戦争に向かっているという意見に対し「それは考え過ぎだ」と言う人がいるが、それは絶対に違う。

日本は武器を作り、それを誰かが使った段階で、すでに戦争に参加している。

戦後70年ということで、テレビでは毎日のように戦争の悲惨さを報じているが、一方で戦後処理の様々なエピソードが語られている。

特に、現状の非武装日本がどのような経緯で生まれたのか、軍備アレルギーを捨て冷静に世界を見よ・・・みたいなメッセージを感じるのは僕だけだろうか。

しかし騙されてはいけない。

未来とは、世界の流れを先読みすることでなく、自分でその流れを作り出すことだ。

一部の列強諸国が覇権を争ってきた世界の歴史など、過去の話だ。

「米中関係」などと言っているが、在米中国人の数は増加し続けており、近い将来中国人がアメリカ大統領になるかもしれない。

人民元の切り下げなど、資本主義を捻じ曲げる中国経済も、このまま成長し続けるわけにはいかないだろう。

戦争の名のもとに殺人罪を逃れる「国」という制度もどうなる事やら。

今地域社会で「国際」から「多文化」へと言葉の置き換えが進んでいるのは、もう「国」では割り切れない世界が到来している証なのかもしれない。