死ねばよかった

8月15日が近付くにつれ、戦後70年という言葉を頻繁に聞くようになった。

終戦の年に生まれた人が70歳になるのだから、その記憶の継承はいよいよ切実だ。

そんな中で、長い間口を閉ざしてきた人たちが、初めて重い口を開き話題となる。

このまま語らずに終わって良いのか・・・という葛藤の末、身を絞るように発する言葉。

意外な事実を告げる貴重な証言を、今まで語ることができなかったのはなぜか。

その理由は、当事者の軍人だけでなく、戦火に追われた庶民や子供に至るまで、驚くほど共通している。

それは、「自分だけが生き残って申し訳ない。あの時死ねばよかったのに、いっそ消えてなくなりたい。」という生きたこと自体を悔やむ言葉だ。

これは戦争に限ったことではない。

大勢が亡くなるような惨事を生き延びた人たちは、必ずと言っていいほど生き延びたことを悔いている。

震災や災害の被災者の方たちも、せっかく生き残った自分を責めることから立ち直らなければならない。

生きることは決して簡単なことではないし、むしろ感謝すべき有り難いことだと思う。

それを恥じ、悔やまなければならないとは、何と言う辛さだろう。

自分には何の責もない家族や友の死、死は生きるよりずっと簡単なはずなのに、それをできないもどかしさ。

そこから立ち直るのがこれほど苦しいというのに、自分が生きるために相手を殺すなど、つまり[自衛権]など本当に必要なのだろうか。

以前、エイズ撲滅キャンペーンの支援を頼まれた時、僕はこんなことを尋ねた。

「エイズの他にも悲惨な病気はたくさんあるのに、なぜあなたたちはエイズを選んだのですか?」と。

エイズは潜伏期間が長く、感染から発症まで10年くらいかかる。

いまだに治療はできないが、発症を抑える薬が開発され、早期に発見して薬を飲み始めれば発症を抑えることができる。

つまり、こうした対策を講じることができるからこそ、大騒ぎをする価値があるのだと。

僕は「なるほど」と思ったが、さらに続く説明を聞くうちに、底知れぬ寒気を感じた。

この抑制剤は高価な薬で、保険は効かない。

当初は頑張って払っていても、次第に負担が重くなり、多くが生活保護へと転落する。

生活保護を受けると医療費は無料になるので、二度とそこから復帰できなくなる。

結局彼らは、保護で生かされる人間になってしまう。

いまさら死を選ぶこともできず、怯えながら生きていくことこそが、本当に恐ろしい、地獄ではないだろうか。

あなたは話が脱線したと感じたかもしれないが、僕にとってこの話はつながっている。

どちらも共通しているのは、辛いのは死ぬことでなく生きること。

死を選ぶことができずに生きる、つまり不本意に生きることの辛さだろうか。

しかし、人々はそこから抜け出し、立ち直る。

戦争や震災で、自分だけ生き残ったと悔やむ人が、やがて亡くなった人たちのために生きるようになる。

だからこそ、その人たちが重い口を開いて語る言葉は「生きるために最善を尽くすこと」、そして「殺さないために最善を尽くすこと」となるわけだ。

終戦の日、日本は連合国に対し無条件で降伏した。

それまで「お国のために死んで来い」、「本土玉砕を免れるため、沖縄は死んでくれ」と言っていた人たちが、「ごめんなさい」と言って降伏するなんて【本当にひどい話】だ!

「自分が死ななければ全員死ぬ」と思うから、人は死ねるのに。

「ここで小惑星を破壊しなければ地球が滅びる」と思うから、ブルースウィルスだって、鉄腕アトムだって死んだのに。

そして、勝つ方もおかしい。

歴史上相手を皆殺しにするまで戦った人は、織田信長などごくわずか。

だから僕は、相手を皆殺しにしないのも、負けそうになると降伏するのも、絶対に許せない。

そんな戦争は、嘘であり、インチキで、だからこそ、絶対に戦争などしてはいけない。

そんなにやりたけりゃ、ジャンケンでもやっとれ!