前回のメルマガで、【永続性の正しさ】という言葉を発したことで、自分自身が金縛り状態になり発信が詰まってしまった。今週もせっかくいろいろな出会いや発見があったのに、この人ことが気になって書く気になれない。馬鹿な話だ・・・と我に返り、まずこの問題から片付けることにする。

僕がなぜ【永続性】にこだわるかというと、それは【破たん】の裏返しだからに違いない。1999年の会社倒産という強烈な【破たん経験】の後、世田谷ものづくり学校の事業母体の【破たん処理】のため校長に就任し、そこで出会った内閣府の特区担当から夕張市の【破綻再生支援】を依頼されたことがきっかけで地域活性化伝道師とやらに認定されてしまった僕にとって、常に気になるのは社会のあちこちに見え隠れする【破綻の兆候】、いや正確に言うと【破たんの先送り】だ。すでに目論見は失敗に終わり、損害が増大し始めているのに、誰もそれに気づかないふりをして問題の発覚を先送りしている様が僕の目にはよく見える。

いや、本当は誰の目にも見えているはずなのに、人は破たんを見ようとはしない。それは恐ろしい、忌まわしいことなので、できればそうなって欲しくないという思いがそうさせるのも無理はない。しかし、残念ながら破たんはやがて訪れる。僕が会社を潰した時、一番強く思ったことは「こうなるんだったらもっと早く潰れればよかった」に尽きる。そこで僕は、どうすれば「破綻を嫌う心」を示し、呼び覚ますことができるかを考えた。その結果僕が口走ったのが【永続性の正しさ】だったのだと今思う。

【永続性の正しさ】について論じる前に、【破たんの悪】についてもう少し説明したい。僕は常々【失敗は悪ではない】と言っている。目的を持った行動がもたらす結果は「成功と失敗」のいずれかであり、成功が到達点だとすれば、失敗は通過点に過ぎない。したがって、失敗それ自体は残念な結果であるが、悪い結果ではない。しかし、失敗を繰り返すうちに「成功に到達できない一線」を越えた時、それは【破たん】の始まりを意味する。最後に成功に到達することができれば、途中で発生した損害は挽回することができるが、成功に辿り着けないということは損害を挽回できなくなるということだ。取り返しがつかない・・・とはこういうことだ。

こういう状態になること自体も、僕は悪とは思わない。すべての失敗が成功の通過点ではありえない。破たんを認めずともその恐れや可能性を感じ、想定することは大切なことだ。それなのにそれが無視され先送りされるのは、そもそも「破たんの原因となる失敗」の隠ぺいがあるからだ。失敗を成功への糧として開示・共有・改善せずに隠ぺいしていると、やがてそれが破たんを引き起こしても隠し続けることになる。それでも僕は、永久に隠し通して破たんしないのなら、それを悪とは思わない。しかし破たんは必ず訪れて、取り返しのつかないことになる。いくら「知らん顔」をしても手遅れだ。つまり、僕にとっての【破たんの悪】とは「永遠に続けられないような嘘をつくこと」を意味する。

それでは「嘘」とは何か。これは案外難しい。「嘘(ウソ)と真(マコト)」を説明するのは僕には難しい。だが【破たんの悪】はその手掛かりとなる。つまり「永遠に続けられないこと=嘘」こそが僕の意見だ。そして【永続性】が、僕にとって大切な「正しさの拠り所」となるのは、それが「嘘の逆=真」だからだ。

あーあ、結局今回も[極めて抽象的]な議論になってしまったが、お許し願いたい。僕自身それとなく発した【永続性の正しさ】という言葉に捉えられ、1週間苦しんだが、ようやくそこから這い出ることができた。続くものが正で、続かないものが悪・・・かなり乱暴な定義だが、僕はこの定義のおかげで「ぶれずに生きる」ことができるのなら、それで満足だ。誰が何と言おうと、僕は持続可能な生活を、持続可能なビジネスを、持続可能な社会を実現したい。