無駄な約束

松村さんは、どんなに大変な無茶な仕事を頼まれても、平気な顔をして「やりましょう!」なんてなぜ言えるんですか? 土曜日はこの疑問に答えるため、久しぶりにZ社で1日暮らした。

10年以上前に設立をお手伝いしたZ社は不動産・生活・生活支援の業務をトータルに手掛ける企業グループで、1999年に僕が立ち上げたS社も所属している。僕が従来の事業領域にとらわれず、新しいビジネスの枠組みを模索するようになったのは、そもそもこの会社のオーナーM氏の影響が大きい。この会社が今、経営幹部の育成に苦しんでいる。お世話になった恩もあるが、今後何かの連携をする可能性も秘めているので、4月からそのお手伝いを引き受けた。オーナーからの依頼は、将来の新規ビジネスにも柔軟に対応できる事業マニュアルを作ること。この作業を通じて、今後を担う経営スタッフを育成する。この夢のようなプランの意図と狙いは、今の僕にはよくわかる。ところが、メンバーに指名されたスタッフにはこの意味がなかなか理解できず、すでに数名が脱落して退社していった。

そこで昨日、まずは僕がじっくりその意図を説明したいと提案し、終日缶詰めになって議論した。参加した2名はどちらも僕より数歳年上で、超大手有名メーカーを定年後に退社して、もうひと仕事やりたいと入社したそうだ。彼らはそれぞれに私と同様のミッションを与えられ、11月までに仕上げよと命じられていた。しかし「人事とは人に関わるすべてのこと」とか「経営は地球で最後につぶれる会社を目指す」など、訳の分からない指示を受け、途方に暮れている。11月までに完成するなど、とても約束できない。

心の中に心配事があれば、それは顔に出てしまう。Nさんは、そんな表情をオーナーに見透かされ「そんな自信のない顔をしていると、11月までもたないぞ」と脅された。「でも私には、そんな無茶な約束はできません。どうすればいいんでしょう!」と途方に暮れる。

そこで僕は、自分の意見をこう告げた。

「難しい仕事を頼まれて[できます]と答える奴は嘘つきだ、こまめに相談しながら諦めずにやればいい」と。

難しい仕事に挑む時、頼まれる側から頼む側を思いやるのは難しいかも知れない。でも僕が頼む側だったら、難しいことを「任せてください」という人を絶対に信用しないだろう。さほど難しくないのなら、確かにできるかもしれない。しかし、できそうにないから「難しい」と言うわけで、当然できない場合を想定しなければならない。「必ずできます。」と言ったのにできないとき、なんと言い訳するのだろう。結局「できる」を約束する人は「できない」を想定していないだけのこと。本当に大事なのは「できない時」や「できそうにない時」にどうするかであり、「できませんでした」と言わずに何とか悪あがきする人を求めているのかもしれない。

こう話すと、Nさんは目を丸くして答えた。「確かに私は[できるかできないか]ばかりを考えていました。しかし、それを心配するの頼む側のすべきことであり、私が心配していては頼み気にもなれませんね。」

「結果をコミットする」という言葉をよく聞くが、求められてもないのにコミット(約束)するのはやめた方がいい。もしもコミットメントを求められたなら、それは[成功の約束]ではなく[失敗した場合の対処法]のはず。そして、その対処とは必ず実行できること。つまり[できないことを排除すること]こそがコミットメントであり、できないことを心配するのは無責任ということだ。こんな話をし尽して、Nさんは少し元気になった。仕事をやり遂げる自信はなくても、諦めない覚悟はできたかな。