嫁ぐというIターン

9月1,2日は、「まちむら交流きこうセミナー・2014まちむら地域・人づくり現地セミナー(九州地区)」に講師として参加するため、熊本に行ってきました。

世田谷ものづくり学校の校長時代からのご縁で、まちむら交流きこうが全国の廃校活用事例同士の交流と連携を促進する「廃校活用プロジェクト」をこれまでサポートしてきました。

今回は、実際に地域に住み込み、廃校などの地域資源を活用して地域おこしに取り組む「地域おこし協力隊や集落支援員」のスキルアップを図るという新たな課題に挑むため、「田舎版ソーシャルビジネスコンテスト」を開催するのが私の役目でした。

会場となった「きくちふるさと水源交流館」は、10数年前に廃校となった元中学校で、地元の木材を使って建てられた、まさに地産池消の木造校舎を活用した施設です。

よそ者を中心に始められた事業は、後に創出された地元住民で構成されるNPOに引き継がれ、今日に至ります。

学校用地と周囲の民有地が、境界を越えて一体化していくプロセスは、都会ではありえない山間地ならではの展開だと感じました。

私の出番は、2日目の後半ということもあり、まずは一参加者として講義や座談会に参加したのですが、中でも印象に残った2つのエピソードをご紹介します。

一つは、「地域づくり活動への支援 ~島根県中山間地域での事例紹介とポイント~」と題し、島根県中山間地域研究センターの有田さんの講義に出てきた話です。

私はこれまで、地域の過疎や高齢化に起因する集落崩壊や消滅といった問題は、あくまでそこを管轄する行政組織のサバイバル(生き残り)に帰結する…とうがった見方をしてきました。

しかし、有田さんの「集落存続の取組は、そこに暮らす住民たちの「いつまでもここで暮らしたい」という思いに応えるため」という言葉に、目からうろこが落ちました。

なぜなら、これはの田名さんが常々「私は死ぬまでここに暮らし、ここで看取られたい」とおっしゃるのと、まるで同じことを言っているからです。

さらには、「地域に小さな経済を作り、自立・継続できるようにするためには、全住民の意見をくみ上げ、地域固有のきっかけと答えを探す必要がある。

そのためには、いつでも誰かがいてくれる【サロン】をつくり、人が集い、やがて頼られる存在になることで、そこに事業者が集まり、事業も生まれる。」という話は、まるで「笑恵館」ではないですか!!

つまり私たちが東京の世田谷で立ち上げた【笑恵館】と、集落自立で拠り所となる【サロン】と呼ばれるものが、本質的に同じもの。

その背景には「コミュニティの崩壊」という現象が、過疎の集落と過密都市の双方で起きていることを意味しているように思えました。

もう一つは、初日夜の若手活動家たちの座談会で、阿蘇・なみの高原やすらぎ交流館館長の望月さんが発した言葉です。

会も終盤、「地域にIターンもしくはUターンしたものの辛いときにはどうやって乗り越えてきたんですか?」という設問に、「仲間との飲み」とか「家族の存在」といった意見が場内の「あるある」になった時、「実は周囲で頑張っているおばちゃんたちは、皆IターンやUターンでお嫁に来たのだと気付いた時です」と望月さんが答えました。

私はその時、自分だけが苦労を背負う「男目線」を自分も持っていると自覚し、衝撃を受けました。

辛いのは自分だけじゃない、いやそれどころか、自分以上に苦労している女性たちが周りにごろごろいるという気付きは、社会参加を実践する男性にとって不可欠な「認識」であると密かに確信した次第です。

今回のセミナーをきっかけに、九州の友人がたくさんできました。

早速この記事を書いて、九州の皆さんにもこのレターを届けようと思います。