契約の自由 ビジネスの自由

神奈川県I市のKさんから、ご自身の所有する一連の土地を「農地として」世代を 超えて継続して行くにはどうしたらいいだろう…という相談を受けました。

まず はその一部の大きな空き家に若手建築家のFさんを住まわせ、可能性を探ってみ ようということになり、戸建住宅用の賃貸契約書式を入手して内容を検討したと ころ、次の4点の問題を見つけました。

貸主Kさんを甲、居住者Fさんを乙とすると、

  • ①乙は賃借権の譲渡、本件建物の転貸をしてはならない。
  • ②乙は本件建物を第三者の使用に供することをしてはならない。
  • ③乙は本件建物を住宅以外の用途に使用してはならない。
  • ④甲は本件建物が乙の使用目的に適するように維持保全に必要な修繕を行なう。

これらの項目は、いずれも住宅の賃貸契約でよく見かける内容ですが、今回の場 合=空き家を活用した自由なチャレンジには馴染みません。

そこで、①~③は甲の 同意があればできることとし、④は不要なので削除しました。

先日、のセミナーでこの話をしたところ、「松村さんは弁護士でも宅建業 者でもないのになぜそんな変更を自由にできるんですか?」という質問を受けま した。

今日はこの質問について、私の思うことをお話したいと思います。

そもそも契約は「合意のもとに自由」に作ることができます。

民法などが契約に 関して定めていることは「うそをつかない」とか「内容は正確に書く」といった 「契約を実現するためのルール」であり、どんな契約をすべきかを定める法など ありません。

契約とはいわば約束であり、相手のいうことが「正しいから」契約 するのではなく、相手のいうことに「合意(賛成)したから」契約するのです。

誤 解を恐れずに言えば「悪いこと(違法)」でも契約します。

土地基本法第4条に 「土地は投機的取引の対象とされてはならない」とありますが、およそすべての 不動産ビジネスはこれに違反しています。

なぜ契約内容は「合意のもとに自由」なのか? それは、契約内容は「善悪でなく合意」で決まるからだと思います。

次に、契約は「当事者同士であれば自由」です。

これに第三者が介入すると、 様々な制約や規則が適用されます。

弁護士や建築士などの「士業」と言われる人 たちは、主として依頼者の代理を務め、不動産・金融業者などは仲介役を務めま すが、当事者の権利を保護するため、これらの業務には様々な規制や法律が作ら れています。

しかし、弁護士は代理人、代議士は代表者であって所詮本人ではあ りません。

建築の設計や許可なども本人が行えば建築士の資格は不要です。

私た ちは、とかく難しい仕事は人任せにしがちですが本人はおよそ何でもできます。

私たちは「自分が本人」であることを忘れてはなりません。

なぜ契約内容は「当事者同士であれば自由」なのか?

それは、契約内容は「代理でなく本人」が決めるべきことだからだと思います。

しかし、契約は自由だからと言って、他人の自由や権利を奪うような契約は許さ れません。

自分の自由を守るには、相手の自由も同様に守るべきだからです。そ こで次に「守るべき自由=権利」について少し考えてみたいと思います。

権利とは「一般に、ある行為をなし、あるいはしないことのできる資格」といい ます。

たとえばは、使用権と収益権と処分権 から成り立つと言われてい ますが、最初の「使用権」とは何かを調べてみると 「対象を自由に使用しある いは使用しない権利」とされています。

使用する権利 は義務ではないので、使 用を強要されないことになり、使用しない自由があると いうわけです。

でもそれでいいのでしょうか? 土地を使用しなくてよいのなら、空き地や空き家をいくら放置してもよいことに なります。

使用の自由とは用途の自由であって「使用しない権利」には疑問を感 じます。

乱暴に言えば「生きる権利」に「死ぬ権利」が含まれることになってし まします。

私は、「死ぬ自由」は否定できなくても、「死ぬ権利」は否定できると考えま す。

「死ぬ権利」を認めていたら、今の社会は成り立ちません。

しかし同時に、 人は必ず死ぬのですから、死を禁止するわけにはいきません。

今はやりのシェアハウスはすべて転貸にあたります。

「不動産を転貸してはいけ ない」という法律はありませんが、それはに「転貸を禁止する権利」などないからで す。

しかし、転貸を禁止するのは自由です。

一般的な賃貸契約で転貸を禁じてい るのは、「そうしたいから」にすぎません。

「合意」とは「そうしたい」と「そうしたくない」…つまり双方の自由意思の折 り合いをつけることです。

当事者間は合意があればどんな契約も可能です。

しか し、その契約は時として周囲の人たちにも影響を与えます。

その時に問われるの が「権利」とか「義務」なのだと思います。

だからこそ、自ら当事者となり、人々を当事者にしていくことが大切です。

当事 者になって初めて、変化することができるようになるからです。