社会資本・ソーシャルキャピタルとは

電気、ガス、水道など、土地資源の管理のため、インフラに関する情報を整理していた時の出来事です。インフラストラクチャー(infrastructure、略称・インフラ)とは、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設を指す言葉で、別名「社会資本」と呼ばれています。私はこの「社会資本」という言葉に興味を持ちました。土地を「資産から資源に変えよう」と唱えている私にとって、この「資本」という言葉は気になる存在だからです。

早速いつものウィキペディアを覗いてみると、やはり面白いことが書いてあったので、引用しますと・・・ 「社会資本(しゃかいしほん)とは、主として次の2つの意味で使われる。
1.社会学における社会関係資本(social capital、仏: capital social) – ソーシャル・キャピタルの項を参照
2.経済学における社会共通資本(social overhead capital; SOC) – インフラストラクチャーの項を参照

「社会資本」という言葉はもともと俗語であった。それに類する概念を考えていた者も19世紀頃からいたと言われるが、それを掘り下げたのがアメリカのジェームズ・コールマン、フランスのピエール・ブルデューといった社会学者であり、アメリカの政治学者、ロバート・パットナムがイタリア社会の絆にこの名前を名づけたことで、広く知られるようになったとも言われる。なお、日本語としての社会資本は、電気や水道、ガスなどの社会的なインフラストラクチャーを意味する概念として定着しており、人間関係のつながりなどソフトな意味での社会的な資本としては、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)として理解されている。」

私が面白いと思ったのは次の二つのことです。
1.日本語と外国語の違い
2.イタリア社会の絆って何のこと?

まず、私の好きな「言葉の違い」から。日本では「インフラ」のことを社会資本といいますが、社会資本を直訳した「ソーシャルキャピタル」という言葉は、全く違う意味で使われているということ。私はこれを「和製英語問題」と呼びます。インフラストラクチャーを直訳すると「下部構造」という意味で、それが転じて「社会資本」となった訳ですが、この【転じる】ことが曲者です。私たちは、言葉や意味を【転じる】習慣があります。

何かを説明するときに、その内容を具体的に話すのではなく、それに似たような意味の言葉に置き換えることで説明した気になることです。「インフラとは社会資本のこと」と言われて、なるほどと思うあなたは、説明と言い替えを一緒にしています。これが英語やフランス語では違います。先ほどの引用にもある通り、インフラにあたることを「ソーシャル オーバーヘッド(経費) キャピタル」と呼び、社会の経済的資本という意味を加えています。

私は日本語が英語より劣っていると感じたことはありませんが、日本人が日本語をうまく使えていないことにはいら立ちを感じます。違う言葉に置き換えただけで伝わることは正確とは言えません。かみ合わないまま言葉を言い合っているだけの国会等がその象徴です。日本には、短歌や俳句など、欧米人も舌を巻くような表現技術だってあるんです。俳句は英語でもできるということが、何かを伝えることに言語の優劣などないことを物語っているのではないでしょうか。

もう一つ欲張って「社会の絆」について、こちらが本題です。イタリア社会の絆について、ウィキペディアにこんな記述があります。 「1993年、アメリカ合衆国の政治学者ロバート・パットナムが『Making Democracy Work』(邦訳『哲学する民主主義』)の中で、イタリアの北部と南部で、州政府の統治効果に格差があるのは、ソーシャル・キャピタルの蓄積の違いによるものだと指摘した。これがきっかけとなり、同書での<ソーシャル・キャピタルとは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率性を高めることのできる、「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会的仕組みの特徴>であるとする定義が広く理解されるに至った。パットナムによれば北部の方が効率的な統治制度をもつのは、中世から続く市民社会の伝統があるからだとし、水平的で自発的な市民同士の活動や自発的な団体の存在が民主主義にとって重要であることを提起した。米国の地域社会の推移を描き出したパットナムの著書『Bowling alone』(邦訳『孤独なボウリング』)も米国でベストセラーとなった。」

地域で人々が顔見知りとなり、緩やかなネットワークを作っていくことが、分断され孤立化が進む現代社会の再生につながるという議論が、私たちの関心事であり、全国で語られていることだとは認識していましたが、個人の独立を尊ぶアメリカでさえこうした議論が起きていることに驚いています。

今回「笑恵館」の事業スキームを公益事業に位置付けるに際して、「笑恵館クラブ」という会員組織が「公益といえるのか」についてずいぶん悩みました。不特定多数が受益者となることが「公益」の大前提だとすれば、たとえ選別しなくても「会員制」でよいのだろうかと。でも、なぜ会員制でなければならないかと自問した時、そこに顔見知りのコミュニティが存在しなければ、ただ誰でも使える場所があっても何の意味もないことに気づきました。この考え方は、「ソーシャルキャピタル」という概念に出会うことで確信に変わりました。「世界のあちこちでそう言っている」ということは、普遍性の一つの手がかりだと思います。

探している答えを見つける時とは、どこかで探し当てるか、自分で生み出すかのどちらかです。今回の私は、自分で生み出すと同時に、他の国にもあることを知ることで、大きな勇気を手に入れた気がします。やはり「欲張って、両方探し続けよう」と、今回改めて思いました。